19.コロナ禍で学ぶこと

非暴力を学び実践することが「神々と悪魔の違い」

私たちの人生は、学びの場であり気づきの場です。私たちは誰も殺されたいとは思いません。毎日、世界中で数え切れない動物たち――牛・豚・鶏・魚――が、自分たちより強い人間たちの自己中心的な欲望の為に殺されています。
そして今、地球の大部分の私たち被支配者層は、パワーエリートの支配欲の為に、不要な人間として選別され殺される対象になっています。
こうして私たちは、これまで理不尽にも殺されてきた動物たちと同じ立場になって、殺される側の恐怖を味わい、無念にも命を奪われようとしているのです。

私たちは、自分が生きながらえる為に或いは美味しさの為に、「罪の無い動物を殺してその肉を食べる」という悪魔の食文化を見直すべきです。これは罪深い活動なのです。私たちは、大地の恵みである植物が供給してくれる食物で十分生きられるのです。

聖書では「汝殺すなかれ」と説かれています。この「殺すな」には、人間も動物も関係ありません。「殺すな」とあったら殺してはならないのです。仏典でも殺生を禁じています。真の仏陀の弟子や従者はこの教えに従います。ヴェーダ文典でも、アヒムサー(非暴力); 他者に怖い思いをさせることさえ禁じています。ましてや殺すなどもってのほかです。

何故なら、宇宙の法であるダルマに反して自己中心的な欲望の為に他者を傷つければ、その罪い活動が自分にはね返ってくるからです。作用・反作用という物理の法則は、私たちの活動すべてにも当て嵌まるのです。そして私たち意識ある存在は、エネルギー保存の法則が証明しているように、永遠なのです。肉体が滅んでも私たちの意識は存在し続けます。死んだら自分という存在が終わるのではありません。あなたという存在は、現在の肉体が滅んでも在り続けます。この「自分という意識を持った存在」を,魂やブラフマンと呼びます。つまりこの世には、自分という意識を持った精神エネルギーと、その自分という意識(精神)を包んでいる肉体を構成する物質エネルギーの2つの種類のエネルギーが存在しているということです。

そして私たち魂は、ちょうど服を着替えるように私たちの前世での活動に応じた新しい肉体に着替え、そして私たちが前世で他者に対して行ったことを追体験するのです。これをカルマの法則と言います。
神聖な宗教は私たちに、このようなダルマ(宇宙の摂理)を教え、私たちがこうした転生輪廻の循環から自由になるために、人々が皆自己中心的な欲望を愛へと昇華させ、他者を自分のことのように思いやり、助け合うことを教えてくれているです。

無神論者・唯物主義者は、「私たちの意識・命は物質から生じた」と主張していますが、これは誤りです。前述しましたようにこの主張には何の根拠もありません。意識・命は、意識・命あるものから生まれるのです。無神論者・唯物主義者の主張は、「強者が自分の欲望を満たす為には、弱いものを利用し・搾取し・命を奪っても構わない」という自己中心的な行動を正当化する思想なのです。騙されてはいけません。

「先進国の嗜好品の為に土地を奪われたり、食物が投機の対象になったり、作物の種が一部の人間達によって所有されたり」といった自己中心的な欲望に植物や土地が利用されることがなくなれば、地球は100億以上もの人間さえ養うことが可能なのです。
そして真の宗教指導者は、真の為政者は、宇宙の法・ダルマを知らずに誤った生き方をしている兄弟姉妹を、正しい道に導くことです。
「誤った生き方をしているから殺す」、「自分と考えが違うから殺す」、「自分/自分たちと肌の色が違うから、同じ宗教ではないから、同じ国民ではないから、自分/自分たちと異なった文化だから殺す」という考えは、悪魔の考え方です。

私たちは肉体ではなく、魂・ブラフマンです。
魂としての本分を忘れ、自分に芽生えた「自己中心的な欲望を満たす為に」、「自分が神になろうという望みを満たそうする為に」、この物質の世界に堕ちてしまいました。
従ってこの物質界にいるすべての生きとし生ける者は、基本的に悪魔です。
但し、その自己中心的欲望の強さには個人差があります。
悪魔或いは魔性の質をまだ心の中に持っている私たち魂は、「神の愛」によってのみ、自己中心的な活動の誤りを気付かせ、改心することができます。
そして人間として生まれた私たち魂がすべきことは、この物質の病、自己中心的な欲望を、私たち魂の永遠の親である「神」への愛に昇華させることです。
これが、すべての魂たち─神々であろうと悪魔であろうと─が、この物質世界の苦しみの原因である、「転生輪廻という生と死の繰り返し」から自由になる唯一の方法なのです。
裏サイト「TATTVAタットヴァ」の「第13章 覚醒方法 第2節 正食(しょうじき)について」もご覧ください。

以上,第19章 コロナ禍で学ぶこと 終了